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第17回
新・風姿花伝
― 人は何故植物を枯らし続けるのか −
― 鉢花・山野草を枯らさないための秘伝公開 ―
【このコーナーを見ずして水くれを語るなかれ】
2.次なる私の実験
 次なる私の実験は、この生き残った雑草鉢をどうするかであった。自分でも雑草に対してとても酷い仕打ちをしていることがわかっていたから、その罪ほろぼしに、今後は再び午前、午後の二回の水を与えて、株の中心から地味な花穂を発生させてやるか、あるいは根元から新茎を発生させて、完全リメイク復活劇を演出してやって心ばかりの贖罪に代えるか、あるいはこのままさらに水やりを制限して、とことん冷徹な科学者の目で、雑草の断水耐久力を追及するか…であった。

 ところがこのたび盆栽園に入ってきたこの新参者の私のすることを、常にジィーと観察している一人の兄弟子が、突然私の実験を遮ってしまった。彼は何も言わず、ジロリと私の顔を横目で睨むと、その私の大切な雑草鉢をヒョイと掴むや、どこへやら持っていってしまったのである。私は抗議の声を上げようとした。しかし彼の目を見た瞬間、私は何も言えなくなってしまった。彼の目には明らかに、私の行いを植物に対する無益な行為、生き物に対する残虐で傲慢な行為と非難している色が冷たく漂っていたからである。その目のことは今でも忘れることはできない。私はその時、彼より六・七歳、年が上であったが、一瞬にして私は彼の前で、かつて掃除道具を収納する木箱の中に女の子を押し込めたのが一時間後にばれてしまった小学校の時のいたずら小僧の気分に久し振りに陥ってしまったのである。

 かくして私の生涯唯一の残酷な科学的実験は未完に終ったのだが、植物の水切れによる枯死の過程には、気温だ、風速だ、その風の乾湿の差だといった各種要素が複雑に絡み合うものの、決定的なのは、その水切れの時間帯がどれだけ持続・連続されるのかということである、ということが、痛いほど体得されたのである。

 ただしこれは植物の水切れに関するほんの一例にすぎない。植物によっては水が一日切れただけで枯れてしまう繊細なものから、チューリップだヒヤシンスだの球根のように、数ヶ月の水切れは屁とも思わぬものまで、その幅はリトマス試験紙の左右の幅よりはるかに広い。それだけに多くの人が小学生の時にアサガオだ、ヒヤシンスだ、キクだという植物を体験してきただろうに、どうゆうわけか、二十・三十・四十代などになってから、改めて「水やりに失敗した様です」なんていう、あってはならないと思うが、実にありふれた悩み相談や救命のための質問を、日々私のところに送り続けるのが、私の死後のことはよくわからないが、未来永劫に続く輪廻転生的現象であるらしい。

赤花菊の草玉作品
水盤に浅く水を張っておくと、
特に夏の水管理は楽となる。
ケト土と荒木田土(田土)で
植えられたカキツバタとフトイ。
清潔な水を補給し続ける。

(写真提供:近代出版)

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