香りのコラム:香りのある風景

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第十五回 苔の香り
文・写真 島崎直樹
記事協力:(株)ワコール「WACOAL NEWS」1999年11/12月号
 朝からのこぬか雨が降り止まぬ晩秋のパリ、小さな骨董店の片隅で埃にまみれていた古い香水を偶然見つけ買い求めた。
 蓋を止める破れかかったシールに1916年と記載されている。

 バカラ社製のシンプルなクリスタルの小瓶に封じ込まれた緑色の液体は八十年以上前に製造されたとは思えぬほど美しく輝いている。
 私が香料の世界に入った三十年前でも既に製造中止になっていた幻の香水、コティ社の「シプレー」(Chypre)である。

 「シプレー」とはフランス語で地中海の東の端に浮かぶキプロス島を指し、そこをイメージした香りを創作したのが天才調香師と称されたフランソワー・コティである。
 商業的に成功したとは言い難い作品ではあるが、調香師にとっては「基本」となる香水で、「シプレー調」と呼ばれこれを手本にした香りは現在でも無数にある。

 もったいなくてとても開封する気にはならないが瓶口からほのかに香りが漏れ出し、鼻を近づけると中身の雰囲気がわかる。
 本来あるべき軽やかな柑橘類の香りはすでに変質しているが、ジャスミンやバラなどは美しく香り当時の良質な天然香料を今でも十分に堪能できる。

 この香水の「残り香」は秀逸で苔から抽出する香料が甘い動物香料と絡みあい暖かく女性の肌を覆うのは想像できる。

 苔は着生する木によって樫なら「オークモス」、杉なら「セダーモス」と呼ばれる。
 それを溶剤処理し濃緑色で粘性の高い香料となる。
 この香料の拡散性、持続性に富んだ海藻のような味わいのある懐かしい匂いが創作者の意図したままに八十年を経た今でも華麗に立ち昇り感銘を受ける。

 「シプレー」は私の教科書であり、かけがえのない宝物である。

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