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| 第2回 ディンケルスビュール | ||||||||
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今回は中世の色濃く残るロマンチック街道沿いの町ディンケルスビュールをご案内します。が、その前に・・・「ロマンチック街道」の由来を説明しておきましょう。
もうひとつ、ロマンチックという語には(Roma)と言う語が入っていますね。その言葉の響きからも連想できますが、本来ロマンチック街道はドイツだけで終わっていません。名前は戦後バイエルンの観光局が定めたものなので、この街道もバイエルン州の中だけになっています。でも、かつてはローマからアルプスを越えて中央ヨーロッパを抜け、バルト海や北海へ続く長い通商路でした。特にヴェローナからアルプスを越えてアウグスブルクへ繋がるローマ人の造った街道は「ヴィア・クラウディア・アウグスタ」と呼ばれていましたが、ここは現在のロマンチック街道南部分と重なっています。つまり、ローマへと続く通商路だったのです。
今回ご紹介する町、ディンケルスビュールの北側にソメイヨシノがあります。これは、10年程前に日本のロマンチック街道協会からドイツのロマンチック街道協会に寄贈されたものです。まだ若木ですが、春になると花が咲きます。
ディンケルスビュールはローテンブルクから車で45分ほど南下したところにある、城壁と水濠に囲まれた小さな町です。町並保存の動きが早くからあり、第二次大戦の戦禍もなかったことから、町の隅々まで中世の面影を残しています。ローテンブルクよりも好きだと言う観光客も多く、またかつてはドイツ皇帝や外国の賓客たちも好んで滞在したということです。
時は1632年、30年戦争のさなかのこと。30年戦争はいわば宗教戦争の再発で、新教と旧教との戦いでした。旧教であったディンケルスビュールは、1632年スウェーデン軍との戦いに敗れ「街をすべて焼き払う」と宣言されました。そこで町の子供たちが将軍の前に出て「どうか私たちの将来のためにこの町を残して下さい!」とお願いします。写真はその場面を描いたものです。スウェーデン軍のグスタフ将軍は自分の子供とそっくりの女の子を抱き上げて「よし、この町を焼き払うのを止めよう」と宣言します。ラッキー!! この物語にちなんで、毎年7月中旬、子供に感謝するお祭り「キンダー・ツェッヒェ」が行われています。
かつてこのような家は「動産」でした。つまり、骨格となる木材を分解し荷馬車で運ぶことができたそうです。ゲルマン系の人々は「衣・食・住」ではなく「住・衣・食」で、かなり家に愛着とこだわりがあります。また、「引越し」の概念が日本人のように頻繁で筋向かいに移るものではなく、一生に一度の大移動のようなものではなかったか、と思われます。
ドイツの結婚式はとてもシンプルで、お色直しが3回もあったり、背丈よりも高いウェディングケーキがあったり、まして、ドライアイスの中から舞台がせり上がったり、とかはありません。 教会で挙げるのと、市役所で籍を入れるのと2通りあります。写真は後者のパターン。市役所にウェディングドレスを着て行って、市長から簡単な祝辞をもらい、署名をして籍を入れて建物を出て来ると、家族や友人が祝うというものです。新郎新婦は祝いの米を振り掛けられ、ハトが待ってましたとばかりにやって来ます。これでお終いです。日本の地味婚よりもグッと地味ですね。あとは、ガラガラと新婚旅行に出かけるだけです。披露宴はないことも多いのですが、あってもレストランでちょっとした食事をするくらいです。とにかくお金がかかりません。 写真では、母親らしき人がうれし泣きしながら鼻をすすり、その前では野次馬が集まり、祝福したり写真を撮ったりしています。これはどこも同じですね。幸せそうな笑顔と爽やかな青のブーケが印象的な花嫁さんでした。 |
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